幸せな「人生の最期」とは?とりあえず考えた事を書いてみる

私の人生の目標の一つは全都道府県を周り、
体験から得られた思い出を映像として残す事。

生きていると、ふと考える事がある。
それは、自分の人生が最期を迎える時、
何を考えるかだ。
きっと私は、過去の思い出を振り返るだろう。

その思い出が、体験を通して形として残っていて、
語り合える、大切な人と過ごす事が出来たなら
幸せな最期を迎えられるのではないか。
思い出は、喜怒哀楽、色々な感情が入り混じっている。

思い返すと、高校、大学を卒業し、気づいたら
社会人として働いていた。
その時々は、たくさん悩み、苦労もするが、結果的にあっという間に過ぎ去る感覚だ。

昨今、経済的自立を意味する「FIRE」が話題となった。
FIREした後、働きたい時に働き、自由で、豊かに暮らすというモデルが挙げられた。
一般的な働き方をしてFIREを目指すとなると、支出を抑えて節約に勤しみ、
余った資金は銀行ではなく投資に回し、制度を利用して節税し、
収入を上げるために副業をする必要がある。

支出を減らす、収入を増やす、投資、節税は、今後生きていく上で必要な行動であると思う。
しかし、そこを重視して、本来自分が挑戦したい事のタイミングを逃すのは勿体ない。

仮にFIRE出来たとして、人の寿命は今後伸びるだろうし、必要な費用もライフイベントにより変動する。
物凄い長寿になるかもしれないし、病気、事故で早期に亡くなるかもしれない。
結果的に安全圏を保ちつつ、バランスを考える事となるが、未来は誰にも分からない。

私の主観であるが
心の底からやりたいと思える事ではなかった、社会の輪に入れている感覚がなかったら、
人と協力して互いの生活を支え、幸せに繋がる事に貢献出来なかったら
それは果たして幸せなのだろうか。

現実的に、FIREを目指すかどうかは置いといて、
目標を達成し、次のステージへ進んでいく事が
幸せな最期を迎える第一歩だと考えた。

実体験であるが、目標を達成して次のステージへ行くと、元々考えていた目標が変わる時がある。
そのため、最初から目標を1点集中させると、自然に考え方が狭くなってしまうかもしれない。

だからこそ何を考えるか煮詰めていこうと思う。

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