現在、日本一周旅に出てから
52日が経過しました
旅先で出会う方から、
なぜ、日本一周をしようと思ったのか?
と、よく質問を頂きます
YOUTUBEで発信しようと思いましたが、
内容的に後一歩が踏み出せませんでした
そのため、まずはブログに綴ります
きっかけは、私が20代後半を迎えた時
自分の人生の最期について考えた事から
始まりました
まず、Life_logというハンドルネームにした
理由ですが、生涯を通して体験した事、
学んだ事を記録に残す、といった意味を込めて
決めました
決して日本一周のためだけにつけたものでは
ありません
この記録やブログがいつか形として残せたら
なんて事も考えたり…
早速、話が逸れましたが、
なぜ、そのような事を考えたのかについてです。
私は、人の最期を看る機会が多い仕事をしていました
人生の最期を迎えるのは、怖く、悲しく、辛い
ネガティブなイメージです
中には受け入れている人もいますが
それは少数派かもしれません
納得のいく最期を迎えるというのは
それだけ難しい事だと、私は考えます
そのような方々と接する機会が増えれば増える程
自分が人生の最期を迎えるとしたら
何を考えるのだろう?
その都度、自分に問いかけるようになりました
あくまで主観ですが、その方達の傾向として
これまでの人生、思い出を振り返り
自分の人生の課題や使命を考え直す等
最期を迎えるための準備をしている事が
多い印象です
きっと、私も同様の事をすると思います
これまでの人生を振り返り
挑戦してきた事や思い出に浸る
自身の使命を考え直す等
最期を迎えるために、心の準備をします
どうせ最期を迎えるなら、
心残りがないようにしたい
ある意味、贅沢な要求かもしれません
その時、共に思い出を語れる家族、友人がいたら
これ以上の幸せはありません
なぜ贅沢な要求なのかというと
中には急性疾患、苦痛を伴う慢性疾患、
不慮の事故など
心の準備をする暇すらない
予期せぬ最期を迎える人もいます
きっと、その時に見るのが走馬灯かもしれません
例えそうなったとしても、
人生で沢山の経験をして
その思い出が良い形で残っていたのら
その走馬灯はより濃いものになるかしれません
この事から、私はいつどうなっても良いように
心の底から自分のやりたい事に取り組み
その思い出をより綺麗な形に残したいと
考えるようになりました
カメラを始めたのは大学生の時
元々興味があり、綺麗な写真や映像を
見るのが好きでした
見入ってしまう写真や映像は、
人によって異なりますが
それは、言葉では言い表す事の出来ない
感情を揺さぶる何かを持っています
いつしか、自分もそんな写真を撮ってみたいと
考えるようになりました
人生の記録を残すなら良い形で残したい
最初はそんな軽い気持ちで始めましたが
社会人として働く中で、このような考えに至り
写真を撮る意味がより見出せました
このような考え方をするようになったのは
紛れもなく、これまで出会った方達のおかげで、
感謝と敬意しかありません
私は社会人7年目までは、仕事と専門の勉強に
必死で、他の事を考える余裕がありませんでした
しかし、仕事を続けられたのは、
人と接する中で、その人が人生で体験した事
教訓を聞く事がとてつもない学びになる事を
体感したからです
他の理由としては、自分が新しい事に挑戦して、
出来るようになる感覚が好きだったのもあります
ある時、数ヶ月ほど、
過疎地域へ出張を命じられたのですが
そこで、異なる地域の方達と出会い、
いかに自分の知見が狭いのかを痛感しました
同じ国内でも、地域性、その人自身の考え方
習慣の違い、他にも色々な要因がありました
だからこそ、様々な地域に出向き、自分の眼で観て
沢山の方達と話してみたいと思うようになりました
仕事を辞めて旅に出るのは勇気がいりますが
この考えが今の私を突き動かしています
急いで書いた未完成の記事なので
続きはまた更新します
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